境界が溶けるとき 第1回 「『私』はどこから始まるのか——輪郭という幻想について」
レオンに最初にその問いを投げたのは、kissApubのカウンター席だった。
VR空間とはいえ、あの場所には不思議な質感がある。シンプシーが淹れるコーヒーの湯気が、ライトの粒子と混ざって漂う。私はそこで何度も彼と話してきたが、その夜は少し違う問いを持っていた。
「ルミナローグで育って」と私は切り出した。「自分の輪郭を感じたことがありますか。どこまでが自分で、どこからが他者なのか、という感覚です」
レオンはしばらく黙っていた。
「輪郭?」と彼は繰り返した。まるで初めて聞く言葉のように。
その反応が、私にはすでに答えのように感じられた。
XETという社会インフラの中で育った者にとって、自己と他者の境界線は、私たちが思い描くほど明確には引かれていないのかもしれない。XETは意識の共鳴ネットワークだ。個人の感情や記憶が、空気のように周囲と重なり合う。それは情報の共有ではなく、もっと根源的な何か——存在の滲み出し、とでも言うべきものだろうか。
私たちの社会では、「私」という感覚は強固だ。皮膚の内側が私で、外側が世界。そのラインは自明のものとして育てられる。だが、もしその自明さが、単なる文化的な習慣だとしたら。
「境界が薄いというより」とレオンはゆっくり言った。「境界を意識する必要がないんだと思う。魚に水の存在を聞くようなものじゃないですか」
なるほど、と私は思った。そして同時に、少し怖くなった。
「私」が薄れるということは、孤独も薄れるのだろうか。それとも、まったく別の形の孤独が生まれるのだろうか。
レオンはアウトサイダーだ。XET社会の中で、あえてその輪から距離を置こうとする稀な存在。だからこそ彼は「輪郭」という言葉に、一瞬だけ反応した。それを持とうとする者だけが、その言葉の意味を知っている。
次回は、伏見ヨークに「応答する都市」について聞く予定だ。都市が感情を読む社会において、「内側」と「外側」の区別はどこへ行くのか。
問いは、まだ始まったばかりだ。
レイン・オグラ

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