ここではないどこかへ 第4回 「『選べない』のは意志が弱いからではないかもしれない」
選択肢が多いほど、人は幸福になれるはずだった。
少なくとも、私たちの社会はそういう前提で設計されてきた。自由とは選択肢の多さであり、豊かさとは可能性の広さだという論理。だがその論理の中で、多くの人が「選べない」という感覚を抱えるようになっている。
何を食べるか、どこに住むか、どんな仕事をするか、誰と生きるか。選択肢は増え続けているのに、選ぶたびに消耗する。選んだ後も、本当にこれでよかったのかという問いが残る。
これを「意志が弱い」「優柔不断な性格だ」と自己批判している人は、少なくないと思う。
だが別の見方がある。
ルミナローグでは、XETが個人の心身の状態を参照して、最適な行動や仕事を提案する。強制ではない。だが多くの人は、その提案に従う。なぜなら、それが心地よいからだ。
私がそれを聞いて最初に感じたのは、自由の喪失への懸念だった。自分で選ばない社会は、自分が消える社会ではないか、と。
その懸念を綾城レオンにぶつけると、彼は少し考えてからこう言った。
「選ぶことと、存在することは、別のことだと思う。選べないとき、あなたはいなくなるわけじゃない」
選ぶことと、存在することは、別のこと。
その言葉が、妙に刺さった。
私たちの社会では、選択と自己同一性が強く結びついている。何を選ぶかが、その人が何者であるかを示すとされる。だからこそ、選べないことが、自分の存在そのものへの疑問に直結してしまう。
だが選択疲れの本質は、意志の問題ではないかもしれない。あまりにも多くの決断を、あまりにも少ないエネルギーで処理しなければならない状況の問題かもしれない。
「選べない」と感じるとき、それはあなたの意志が弱いのではなく、あなたの神経系が正直に限界を伝えているだけかもしれない。
ルミナローグが示しているのは、選択を消した社会ではなく、選択のコストを個人が一人で負わなくていい社会の可能性だ。
あなたが今、何も選びたくないと感じているなら。それはただ、少し休む必要があるというサインかもしれない。
レイン・オグラ vibliq magazine

コメントを残す