ここではないどこかへ 第3回 「覚醒体験を言葉にできなかった人へ」
うまく説明できない体験をしたことがあるだろうか。
一瞬、自分と世界の境界が溶けたような感覚。「私」という輪郭が薄れて、何か大きなものと繋がったような気がした瞬間。それは瞑想中かもしれないし、自然の中にいるときかもしれないし、まったく予期しない日常の一場面だったかもしれない。
その体験を誰かに話そうとして、言葉が見つからなかった経験はないだろうか。あるいは話したら、怪訝な顔をされた経験は。
そういう体験を持つ人は、おそらく思っているよりずっと多い。だがそれを語る言葉が、私たちの社会にはまだ十分に存在しない。スピリチュアルという言葉は、どこか胡散臭さと隣り合わせで、科学という言葉は、そういう体験を排除する方向に使われがちだ。
ノンデュアリティ——非二元性——という概念がある。
自己と他者、内と外、主体と客体。私たちが当然のものとして受け取っている二項対立が、実は意識の構築物に過ぎないという見方だ。東洋哲学が長年辿り着いてきた場所でもあり、現代の意識科学が少しずつ近づいている場所でもある。
「あの感覚に、名前があったんだ」と思う人がいるかもしれない。
ルミナローグでは、その感覚が日常の前提になっている。XETという意識共鳴インフラが、個人の意識の輪郭を意図的に曖昧に保つ。自他の境界は固定されたものではなく、状況に応じて伸縮する。
伏見ヨークはこう言った。
「私たちにとって、自分だけが感じているという状態は、むしろ不自然です。感覚は、もともと流れるものだから」
感覚は、もともと流れるもの。
あなたが体験したあの感覚は、異常ではなかった。それはむしろ、意識が本来持っている性質に、一瞬触れた体験だったのかもしれない。
うまく言葉にできなかったのは、あなたの語彙が足りなかったからではなく、その体験を入れるための容器が、私たちの社会にまだ十分に用意されていないからかもしれない。
ルミナローグは、その容器を社会全体として持っている。
それが何を意味するのか、私はまだ完全には理解できていない。だが、あの体験を持つ人間にとって、そういう社会が存在するという可能性は、少し息がしやすくなる話だと思う。
レイン・オグラ vibliq magazine

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