ここではないどこかへ 第1回 「社会が『重い』と感じるのは、あなたがおかしいのではない」
朝、目が覚めた瞬間から、何かが重い。
特定の出来事があるわけではない。誰かに傷つけられたわけでも、仕事が嫌いなわけでも、必ずしもそうではない。ただ、起き上がることに、妙なエネルギーが要る。今日という一日を始めることに、小さな抵抗がある。
その感覚を誰かに話すと、たいてい「気の持ちよう」「慣れれば大丈夫」という答えが返ってくる。あるいは何も言われず、少し困ったような顔をされる。そのたびに、自分がおかしいのかもしれないと思う。
だが本当にそうだろうか。
私がkissApubで出会ったルミナローグの住人、伏見ヨークは、ある夜こんなことを言った。
「あなたたちの世界を観測していて、最初に感じたのは、遅さではありませんでした。重さでした」
ヨークはルミナローグという別次元の社会で生きている。彼の目に、私たちの社会はどう映っているのか。私はその言葉が気になって、もう少し聞いた。
「物理的な重さではなく、情報的な重さ、関係的な重さ、選択の重さ——あらゆるものに摩擦がある。そしてその摩擦は、個人が一人で引き受けるように設計されている」
一人で引き受けるように設計されている。
その言葉が、しばらく頭を離れなかった。
私たちの社会では、重さは基本的に個人の問題とされる。生きづらさは、その人の能力や性格や努力の問題として処理される。社会の構造が重さを生んでいるのかもしれないという視点は、なぜかなかなか届かない。
ルミナローグでは、XETという意識共鳴インフラが社会全体に張り巡らされている。個人の感情や疲労は、そのままXET空間層に滲み出て、周囲と静かに共有される。完全に孤立した重さというものが、構造上生まれにくい。
それは理想郷の話だと思うかもしれない。あるいはプライバシーのない監視社会だと感じるかもしれない。ヨーク自身も「私たちの社会が正解だとは思っていない」と言った。
だが彼の言葉が示唆していることは、もう少し手前にある。
重いと感じることは、あなたの感受性がおかしいのではなく、あなたがいる環境の摩擦に、あなたの神経が正直に反応しているだけかもしれない。
社会が重いのだとしたら、それに気づいている人間は、むしろ正常に機能している。
そう考えると、朝の重さの意味が、少し変わる気がしないだろうか。
レイン・オグラ

コメントを残す