「XET」——つながりを、インフラとして書く(vibliq magazine カテゴリーガイド)
XETは、vibliqで最初期に書いたテーマのひとつだ。ネットワークは社会の背骨にあたる。ここを先に書いておかないと、後の記事が立たない。そう考えて、サイトを始めて間もない2025年5月に最初の記事を置いた。
「XET──私たちは思考でつながる」は、ネットワークとはケーブルや電波のことではない、という一文から入っている。意識を軸にした構造を、クリアマター空間と共鳴記憶という二つの柱で説明した。今読み返すと文体が硬い。それでも用語の定義は、このときのものが今も生きている。
2025年の夏は、XETが社会のどこに入り込んでいるかを書いた。
「第2回|ルミナローグ・セキュリティ」は、あなたのすべてが記録されているのに、その情報に触れられる人はほとんどいない、という逆説を扱った。監視社会の話になりがちな題材だが、記録することと触れることを分けて考えると、見え方が変わる。
「第4回|GAIAは病気を”診断”しない」では、量子的な身体共鳴の記録が医療をどう変えるかを書いた。
「第7回|導かれない学び」は出雲カヤスの寄稿で、「第8回|親密性モデルが芸術・都市・医療など他領域にどう波及しているか」がそれを受けている。この3本はGAIAカテゴリーにも入っている。GAIAとXETは、書いているうちに切り離せなくなった。
→ 第2回|ルミナローグ・セキュリティ
→ 第4回|GAIAは病気を”診断”しない
→ 第7回|導かれない学び
→ 第8回|親密性モデルが芸術・都市・医療など他領域にどう波及しているか
転機は2025年9月の「ノンデュアリティ時代のインターネット」だ。インターネットは「アクセスするもの」から「共鳴する空間」になる。この記事で初めて、XETを技術ではなく感覚の変化として書いた。のちの「境界が溶けるとき」の出発点も、ここにある。
翌年1月の「今日も誰かとすれ違った──偶然が仕事をつくる社会」は、XETが毎朝の心身の状態を参照して仕事を提案する、という日常の側面を書いた。便利さの描写としては、おそらく最も素直な記事だと思う。
→ ノンデュアリティ時代のインターネット
→ 今日も誰かとすれ違った──偶然が仕事をつくる社会
2026年に入ると、書き方が変わった。
「回想録7 会えない時間のかたち」では、最適化された社会に「会えない」という状態はあるのか、とレオンに尋ねた。彼は手を止めて、レガシーVRのモニター越しに遠くを見た。
「境界が溶けるとき」の第2回と第3回は、ヨークとレオンへのインタビューだ。XETの内側で暮らす人が、その外へ出たがる。第3回で聞いた「選ばなくてもうまくいく。でも、そのときここにいるのは誰なんだろう」という言葉が、このカテゴリーの後半を決めた。
→ 回想録7「会えない時間のかたち——XET社会における距離と存在」
→ 境界が溶けるとき 第2回「応答する都市」
→ 境界が溶けるとき 第3回「行為と存在の間」
10本を並べると、前半は「XETとは何か」を説明する記事、後半は「XETの中で暮らす人が何を感じるか」を聞く記事になっている。説明は私の手の中にあるが、感じ方は私には書けない。だから聞くしかなかった。
XETは、人をつなぐ仕組みであり、同時に、つながらない自由が何かを問い返してくる仕組みでもある。
レイン・オグラ vibliq magazine