境界が溶けるとき 第2回 「応答する都市——内側と外側の区別はどこへ行くのか」
伏見ヨークは、質問に対して正面から答えることが少ない。
その夜も、kissApubの奥のテーブルで、彼はしばらく窓の外の光を見ていた。VR空間の窓の外に何があるのかは、私にはわからない。だが彼には、何かが見えているようだった。
「感応都市について聞かせてください」と私は言った。「あなたたちの街は、人の感情を読んで応答すると聞きました。それは、どういう感覚なのですか」
ヨークは少し間を置いてから、こう言った。
「雨が降りそうだから傘を持つ、という感覚に近いかもしれない。ただ、その雨が、自分の内側から来ているという違いがあります」
私はその言葉をしばらく手帳に書き留めながら考えた。自分の内側から来る雨。感応都市とは、個人の心身の状態を読み取り、空間や光、音や温度をそれに合わせて変化させるインフラだ。街が、人の感情に呼応する。
「それは監視ではないのですか」と私は聞いた。率直すぎる問いだと思ったが、ヨークは静かに笑った。
「監視は、外から見る行為です。感応都市は、外と内が分かれていない」
ノンデュアリティの視点から言えば、これは単なるテクノロジーの話ではない。「内側」と「外側」という区別そのものを、社会のインフラとして解体しようとする試みだ。GAIAという非強制型知性が、命令ではなく共鳴によって都市を維持しているのも、同じ思想の上に立っている。
私たちの社会では、プライバシーとは「内側を外側から守ること」だ。だがルミナローグでは、その境界線がそもそも薄い。街に感情を読まれることへの恐怖は、「私」と「都市」が分離しているという前提から来る。その前提がなければ、恐怖の形も変わるのかもしれない。
「でも」と私は続けた。「自分の悲しみが街に伝わるとしたら、それは孤独ではなくなるのですか」
ヨークはまた少し考えた。
「孤独がなくなるのではなく、孤独が——響く場所を持つ、ということだと思います」
窓の外の光が、ほんの少し色を変えたように見えた。気のせいかもしれない。だがあの空間では、気のせいと現実の区別も、少し曖昧だった。
次回は再びレオンに、「行為と存在」について聞く。XETが仕事を提案する社会で、「自分で選ぶ」とはどういうことなのか。
レイン・オグラ
ビブリクマガジン

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