
第3回|裁かれない裁き──可視化されない証拠と、ルミナローグ司法のかたち
第3回|裁かれない裁き──可視化されない証拠と、ルミナローグ司法のかたち
文:レイン・オグラ(未来倫理ライター/vibliq寄稿)
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もし、裁判というものがなくなったら──
証拠も、弁護も、判決文も存在しない世界で、「裁き」はどう機能するのか。
ルミナローグ社会では、すべてがXET上で動いている。
人の意志、判断、感情、視覚や聴覚といった五感の体験記録は、パピリアを通して空間に“共鳴”として保存されている。
だがそれらの記録は、誰かの目に触れることは一切ない。
トラブルや過失が発生した場合、XETは問われた命題に対して、YESかNOで応答するだけだ。
「この人には責任があるか?」
「この行為は故意だったか?」
GAIAを経由した判断は、可視化されず、説明も伴わない。
だが、社会はそれを「正当」として受け入れている。
この構造は、「記憶裁定プロトコル(Memory Arbitration Protocol)」と呼ばれる。
個人の内的プロセスを他者が再生・検証するのではなく、XETが持つ“非開示の判断装置”として機能する仕組みだ。
人間の裁量による恣意的な判断や、過剰な証拠主義から解放された新しい司法システムと言える。
その背景には、ルミナローグの倫理観がある。
ここでは「罰すること」が主眼ではなく、未来の関係性をどう再構築できるかが焦点とされる。
GAIAは、当事者の感情記録や行動経緯を加味し、**「修復の可能性」**をも判定材料にしている。
たとえば、誰かが他者の制作物を意図せず流用してしまった場合。
かつての社会では、著作権や使用許諾をめぐる対立が生まれただろう。
しかしルミナローグでは、**「そこに悪意があったか?」**ではなく、
**「その行為が関係性の断絶を生むか否か?」**が問われる。
そして驚くべきことに、XETはその未来的“感情の余地”すら計測する。
行為の波紋が拡がったあと、再び調和が訪れるかどうか──
その可能性がYESであれば、厳罰は下されない。
必要であれば、GAIAが調整役となり「共鳴的な対話」への場を設計することもある。
つまり裁きとは、線引きではなく、周波数の調律である。
ここには明快な可視化も、白黒の正解も存在しない。
だが、不思議と誰もが納得して生きている。
なぜなら、判断の主体が「人」ではなく「空間そのもの」だからだ。
次回は、このXETの調律構造が、医療・ケア・自己認識の分野にどう応用されているかを探る。
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