回想録|レイン・オグラ ──ルミナローグからの伝言を受け取り続けて
最初のインタビューが、いつ、どこで始まったのか、正直なところはっきりと思い出せない。なぜならその時は、混乱と興奮の渦中に埋もれていたからだ。
ルミナローグ、という言葉も、そのときはまだ輪郭を持っていなかった。
ただ、日常のなかに微細なズレが生じ始めていた。朝食をとる手が止まり、窓から差し込む光を、必要以上に長く眺めてしまう。誰かと話していても、その声の奥に、別のリズムが重なって聞こえる。
「これは、どこかから来ている」
そう感じたのが、すべての始まりだった。
最初に書いた記事は、今思えば、ほとんど“翻訳”だった。
自分の考えをまとめたというより、すでに存在している世界の断片を、こちらの言葉に置き換えただけに近い。ルミナローグの生活は、驚くほど穏やかで、暴力的な革新を一切含んでいなかった。技術は前面に出ず、人々は何かを「成し遂げよう」ともしていない。ただ、すでに満ちているものを、丁寧に生きているだけだった。
回を重ねるごとに、伝言は明確になっていった。
食事は栄養ではなく、感情の調律であり、
仕事は競争ではなく、すれ違いから始まる共鳴であり、
健康は管理ではなく、身体との対話であり、
芸術は創作ではなく、日常に滲み出る無意識の痕跡だった。
そして、何より印象的だったのは、余白の存在だ。
ルミナローグでは、何もしていない時間が、最も価値のある時間として扱われている。予定のない午後、意味のない散歩、目的のない沈黙。それらは社会から切り捨てられるどころか、むしろ社会を支える基盤として、大切に保護されている。
書いているうちに、私は次第に気づき始めていた。
これは未来の物語ではない。
これは、すでに私たちの足元に芽吹いている可能性なのだと。
ルミナローグからの伝言は、決して「こうすべきだ」と命じてこない。
代わりに、問いだけを残していく。
「あなたは、何を急いでいるのか?」
「その不安は、本当にあなたのものか?」
「余白を、まだ恐れているのか?」
記事を書くたびに、私は少しずつ“書き手”ではなくなっていった。
代わりに、受信者になり、通訳者になり、やがては単なる通過点になっていった。言葉は私を通り抜け、vibliqという媒体を通じて、また別の誰かの生活へと滲んでいく。
今振り返ってみると、この連載は、未来社会のレポートではなかったのかもしれない。
これは、人類が思い出すための回想録だった。
かつて、私たちはこう生きられると、どこかで知っていた。その記憶を、そっと呼び戻すための。
ルミナローグは、遠い未来ではない。
それは、静かに、確実に、こちら側へ滲み出してきている。
もしこの記事を読んで、理由もなく深呼吸をしたくなったのなら、
あなたもまた、すでにその伝言を受け取っているのだと思う。
そしてきっと、次に書くのは、私ではない。
あなた自身の生活が、その続きを語り始める。
── レイン・オグラ

コメントを残す